| ルーブル美術館展 投稿者:hosikuzu 投稿日:2009/05/31(Sun) 17:56:20 No.194 | |
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「LADURÉE」(ラデュレ)
お土産にマカロン買った。 これが一番うれしかった。
会場ではこのパリの老舗パティスリー「LADURÉE」(ラデュレ)のマカロンを発売中! ラデュレが世界に誇るマカロンを、ラデュレ特有のグリーンの馬車に乗せて、会期中だけ国立西洋美術館の正面入口(外)で販売しております。
ラデュレといえばマカロンが代名詞となっていますが、その誕生は20世紀半ばに遡ります。 かたく、乾燥したクッキーをマカロンと呼んでいた時代に、2つのマカロンの間にガナッシュを挟み、外はさっくりと、そして中はとろけるような食感が楽しめるマカロンの販売を始めたのがラデュレです。 これが、現代のマカロンの始まりとなりました。 その当時から同じ製法で作られているというこの伝統の味を、是非お楽しみください。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:12:15 No.195 | |
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西洋美術館に行ってルーブル美術展を見てきました。 もうじき最終のせいか100分まち。 でもがばって見ました。 今回の目玉は何と言っても フェルメールのレースを編む女です。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:13:40 No.196 | |
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1630年頃−1680年
モノクロームに近い抑制された色彩で、半裸の女性の上半身が描かれている。彼女は白い麻の下着を部分的にまとうだけで、左の胸は露わになっている。ほぼ画面の中心に描かれた彼女の左の乳房には強い光が当てられ、見る者の視線を誘う。その視線を見透かすように、彼女もまたこの絵を見る者を凝視している。1654年に制作されたこの作品の主題は、「バテシバ」である。自分の部下ウリヤの妻バテシバの美しさに惑ったダヴィデは、ウリヤを前線に送り戦死させ、自分の妻とした。旧約聖書(『サムエル記下』第11章)に物語られるバテシバの物語は17世紀にしばしば採りあげられ、多くの画家が忘れがたい女性像を残した。しかし、本作品では一切の付帯状況を排除し、バテシバの上半身のみを描くという異例な表現形式が採用されている。彼女をバテシバとする根拠は、彼女が右手にもつダヴィデの手紙のみである。ルーヴル美術館には、本作品と同じ年にドロストの師レンブラントによって制作された著名な同主題作品が所蔵されている。しばしばドロストの代表作と見なされる本作品がレンブラントから想を得ていることは間違いないが、微妙な明暗表現と繊細な色調によって瞑想的雰囲気は一層強調され、眩惑的な女性像が生み出された。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:14:12 No.197 | |
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1632年−1675年
静かな室内で手紙を読み、あるいは、物思いにふける女性を描いた一連のフェルメールの作品は、17世紀オランダ風俗画のもっとも魅力的な部分を形成している。19世紀にパリで再評価されたこの画家とフランスとの強い絆を象徴するような作品が、この《レースを編む女》である。1870年にはすでにルーヴル美術館の所蔵となっており、最もよく知られたフェルメール作品のひとつである。これはフェルメールの作品の中でも小さなもので、前かがみになった娘の上半身が、少し下から見上げられるように描かれている。彼女はレース編みに熱中しているが、クローズアップで描かれているため、絵を見る者もまた彼女とともにこの細かい作業に加担しているような不思議な感覚に襲われる。画面左手前の赤と白の糸はまるで、カンヴァスの上にたらされた絵具そのものとして描かれており、どこか官能性を呼び覚ますような表現となっている。彼女の右手下に置かれた小さな書物はおそらく聖書と思われ、それは、ここに描かれるレース編みが女性の勤勉さを象徴するテーマであったことを思い出させるが、そのような主題性から開放され、光に満たされ、光に祝福されたような娘の凝縮された存在感が見る者を圧倒する。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:14:50 No.198 | |
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1556年−1638年
画面左に、海の怪物の生贄にされたアンドロメダが大きく描かれている。彼女は薄布をまとうだけである。彼女の視線の先には宙を舞う騎士のような人物がいる。これは彼女を救いにきた英雄ペルセウスであり、ペガサスにまたがり、その下に見える怪物と戦っている。ティツィアーノに同主題の著名な作品(ロンドン、ウォーレス・コレクション)があり、多くの画家がこの16世紀ヴェネツィア派の巨匠の作品に想を得ながら同じ主題の作品を描いた。他方、本作品の作者であるウテワールなどのオランダの画家たちにとって、この主題は特別な意味をもってもいた。オランダは当時スペインとの独立戦争の最中であり、オランダの人々は囚われたアンドロメダと自分たちとを同化し、ペルセウスのような救世主の登場を希求していたのである。アンドロメダの足下には多数の貝殻に混じって幾つかの骸骨などが見えるが、これはスペインとの戦禍を暗示しているのだろう。ウテワールはオランダ・マニエリスムを代表する画家で、装飾的彩色、人工的空間構成、捩れた身体表現などを駆使した独自の作風で、黄金時代初期の絵画の展開に重要な役割をはたした
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:15:22 No.199 | |
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1606年−1669年
レンブラントは、その画業の間中、自分自身を描き続けた。これらの自画像は、西洋絵画最大の巨匠のひとりが制作したものであり、黄金時代の作品の中でも特異な一群をなしている。レンブラントは、人生の各年代で自画像を描いたが、これらの表現の多様さは、別々の場面設定によるところが大きい。そこでは、様々な衣装が常に重要な役割を果たしている。《縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像》では、ルネサンスの肖像画のように、「昔風に」帽子をかぶり、手袋をはめ、歴史的衣装に身を包んだレンブラントが示されるが、まさにそれにより、画家が過去の大画家の系譜に連なる者であることをはっきりと示している。同様に、贅沢に着飾った姿を示す衣装は、レンブラントにとって、貴族社会と一体化し、ヴァン・ダイクのような同時代の巨匠に近づく手段でもあった。 実際、オランダ連邦共和国では、有産階級が貴族の流儀を取り入れ、著名な画家の肖像画が大きな位置を占めるコレクションへと好みを向けていった。オランダのエリートたちのこの貴族化は、他のヨーロッパ諸国(特にフランス)の絶対王政によって発展した優雅さや権力のモデルに魅せられたものであり、レンブラントのこの自画像において、きわめて明瞭に示されている。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:16:06 No.200 | |
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1590年−1649年
何かに誘いかけるような聖母と幼児キリストのまなざし。ルイ13世によって王家の主席画家と任じられたヴーエの卓越した筆の力によって、艶やかに描き出された聖母子像。着衣の赤、ヴェールの黄色、ラピスラズリの豪奢な輝きを持つ外衣の青、そして幼児キリストを包むシーツの白と、流麗な襞の明暗を刻み込みながら簡潔に色彩が配置され、聖母が掲げるナラの小枝の緑がそれらの色彩の対比に加わる。 17世紀、対抗宗教改革の時代にあったフランスでは、聖処女マリアは神と人とを仲介する存在として崇められ、ルイ13世も、1638年に息子の生誕に際し、フランスの国土を処女マリアに捧げる誓いをなしたほどであり、神の子キリストを伴った聖母子像は広く人気を博した。ヴーエの他の聖母子像では、聖母とキリストは互いを見つめ合っているが、本作品のみ、二人ともこちらにまなざしを向けている。若く美しい聖母と、足で御包みと戯れる生気溢れる姿は、聖母子の人間性に思いを至らせるとともに、穢れなき「受肉」の神秘にわれわれを導くかのようでもある。 画家の友人で庇護者でもあったルイ・エスランは王の助言者で、王宮の出納管理を司っていた人物で、本作品は彼のために描かれたと考えられている。聖母が持つナラの小枝は、力と忠実さの象徴とされ、二人の関係を証し立てるかのようでもある。 本作品は2004年に企業のメセナによってルーヴルの新たなコレクションとなったものである。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:16:50 No.201 | |
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1593年−1652年
光源は幼子キリストが持つ蝋燭ただ一つ。輝く炎は、若々しいキリストの顔を清冽に照らし出しながら、幼子の左手を透かして見るものに届けられる。一方、大工仕事に精を出す養父ヨセフの手元をほのかに照らしつつ、額には年齢と労苦を刻み込んだ皺を浮かび上がらせる。ほぞ穴が穿たれた角材は十字架を連想させ、幼子の将来がすでに暗示されており、キリストに向けられた、慈愛に満ちながら、どこか不安げなヨセフの視線も、運命の予兆に緊迫感を加えている。画家が活動した17世紀前半のロレーヌ地方では、聖ヨセフへの信仰は、殊に活発となっていたが、そのための図像への需要が、この類希な才能と出会った時、見るものの視線を括り付けて止まない名作をもたらすことになったのである。 現在では17世紀フランスを代表する画家の一人に数えられるジョルジュ・ド・ラ・トゥールが見出され、再評価されたのは20世紀になってからのことである。本作品も、1938年に発見され、イギリス人パーシー・ムーア・ターナーの所蔵となっていた。彼によってルーヴル美術館に寄贈されたのは1948年、彼の友人で作品発見の翌年に亡くなった、ルーヴル美術館絵画部門の学芸員ポール・ジャモに対する追悼記念として贈られたのである
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:17:37 No.202 | |
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1577年−1640年
本作品は17世紀フランドル絵画を代表するルーベンスが長いイタリア滞在から故郷アントワープに凱旋帰国し、神話主題の大作を次々に発表していた1615年頃のものと推定されている。重々しい堂々たる様式、華麗な色彩、量感に満ちた人体表現、これらのすべてはこの時期のルーベンスの特徴に合致している。燃える車輪に縛られ、イクシオンが劫罰に処される場面はしばしば描かれたが、本作品が採りあげるような、ユノに騙されるイクシオンの主題は珍しい。イクシオンはユピテルの妻ユノを誘惑するが、ユピテルが雲でつくったユノの似姿に騙される。画面右上方に描かれるのがユピテルで、画面左でイクシオンと抱き合っているのは偽のユノである。画面中央右に立つ本物のユノはイクシオンに背を向け、夫の元に帰ろうとしている。ここではイクシオンの物語を借りながら、人間の欲望や欺瞞が寓意的に表現されているのだろう。互いの左足を交差させるように中央に大きく描かれたふたつの裸身、すなわち、本物と偽者のユノのふたつの裸身もまた見る者を欺こうとしているかのようである。イタリアとの結びつきが強調されることの多いルーベンスであるが、特に、中央に立つユノの裸身は透明な薄い絵具が重ねられ、この画家がフランドル絵画の伝統の中で生きていたことをあらためて思い起こさせるだろう。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:18:10 No.203 | |
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1600/10年頃−1648年
右手から差し込む強い光に照らし出され、テーブルを囲む6人の農民の家族。左手奥では、暖炉の揺らめく光に淡く照らされた3人の子供が控えている。食事の後とも思えるが、楽しげな団欒の活気を伝えるものはない。人物同士の視線は絡まることが無く、大人も子供も、穏やかにそれぞれの思いの中にある。農村生活の様々な現実に向き合いながら、慎ましくもわが身を持する厳粛な精神性が響き渡っている。 アントワーヌ、ルイ、マチューの3人からなるル・ナン兄弟は、フランス東北部のランに生まれ、1629年にはパリで親方として登録され、多くの肖像画や教会の祭壇画の注文を受けた。1648年、年初に創設された王立絵画彫刻アカデミーにも加わるが、5月にアントワーヌとルイが急死したこともあり、以後18世紀を通じて忘れ去られ、作品の多くも失われた。19世紀半ばに、同郷の文筆家シャンフルーリによって再評価されて以降、17世紀フランスにおける現実主義の画家として高く評価されることとなった。 本作品は、浅い奥行きと限定された色相と彩度の内に、光の効果と事物の質感を描き分けつつ、確固たる人物の存在感を描き出す、画家の力量と特質を存分に感じさせる代表作と言えるだろう
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:19:00 No.204 | |
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1599年−1660年
王女マルガリータの肖像は、王妃マリアーナにより1654年に注文された。この絵画は、作品がヨーロッパの一国から他国へ、あるいは王女が宮廷から宮廷へと動くなど、黄金時代にあった国家間の移動の中でも、特に印象深い例のひとつである。富の流れは権力の流れと一致している。 この絵画は、ルーヴル宮の室内装飾の一部として、クール・カレの南側一階の王の母の住居にあった。現存するのは幼いスペインの王女を表わしたこの肖像のみだが、王家の肖像のギャラリーを想像する必要があるかもしれない。 王女は、スペイン王フェリペ四世と王妃マリアーナの娘であり、王妃でありルイ14世の母でもあるアンヌ・ドトリッシュの姪である。彼女の肖像画は、戦争によりフランスとスペインが対立しているにも関わらず描かれた。アンヌ・ドトリッシュはスペイン王家に愛着をもっており、カトリックの2つの強国が団結することを望んでいた。彼女の注文は、政治的理由と同じくらい感傷的な理由からなされており、この作品を理解するためには17世紀の専制主義のヨーロッパを支配していた名門家系の姻戚関係の文脈を想定することが必要である。 スペイン王家の子女たちの肖像は、ベラスケスの制作した絵画の中でも最も優れたものに数えられる。その中でも、王女マルガリータは繰り返し描かれた。例えばマルガリータは、プラド美術館に所蔵されている有名な《ラス・メニーナス》の構図の中央を占めている。ルーヴルの肖像画をうつしたマルガリータの肖像画の大部分は、スペインには残っていない。それらは、ヨーロッパの主要な宮廷に、王女の姿を知らしめるために送られたからである。肖像画は、決して単独では制作されず、時の外交上の必要性に答えるために、何枚もの複製が描かれた。1666年に、マルガリータは、オーストリア大公にしてドイツ皇帝のレオポルド1世と結婚したが、合併症を伴う幾度かの妊娠と、当時の医学の貧困さのため、22歳で亡くなることとなった。彼女はハプスブルク一家の墓所である、ウィーンのカプチン会の地下礼拝堂に埋葬されている。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:19:53 No.205 | |
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1573年−1621年
1585年にスペイン軍に包囲されると、アントワープは、プロテスタントにとってはもはや安全な都市ではなくなった。それゆえ、宗教的迫害から逃れるため、アンブロシウス・ボスハールト(父)の両親は、より敵意の少ない北方のミッデルブルフに身を落ち着けた。ボスハールト(父)の名は、彼の弟子であり、おそらく共同制作者でもあったバルタザル・ファン・デル・アスト(1593/94年−1657年)としばしば結びつけられる。アンブロシウス・ボスハールト(父)は、花の静物画の偉大な創始者のひとりであったが、この分野は、他のヨーロッパ諸国とは比較にならないほどオランダで発展した。 ボスハールト(父)の最晩年に制作された本作品には、彼が以前に用いた、石の壁龕に花束と何匹かの昆虫を配置するという定型表現が再び使われている。描写の鋭敏さは、トロンプ・ルイユ(目だまし)的外観を際立たせ、また、植物と鉱物を結びつけることで、古代の画家ゼウクシスのだまし絵的な装置を思い起こさせる。少し前から、コンスタンティノープルより花が輸入されていたが、チューリップは希少性が高かったため、1630年代には不合理な資本投機の対象となった。ボスハールト(父)作品の正確な描写は、特に、遠方への旅行からもたらされた異国の種を扱う学問や研究に対する関心が、植物学あるいは昆虫学を通じて、17世紀初頭に増大していたことが示唆されている。ルーヴルのこの絵画は、当時の学者と芸術家を結ぶ共通の関心を色鮮やかな方法で例証している。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:20:32 No.206 | |
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1602年頃−1682年
クロード・ロランは、フランス北東部のロレーヌ地方出身だが、幼年時代からは、まずローマ、次いでナポリと、イタリアの芸術家社会の中で成長した。ここでの風景画家たちの教えは、クロードの作品に深い影響を与えた。彼は1625年にフランスに戻り、スイスとドイツに滞在したが、1627年に旅を終わらせ、永遠の都ローマに最終的な居を定めた。この時代、ローマは芸術家たちが腕を競う中心地となっていた。それ故にアンニバーレ・カラッチの風景画に影響されたものの、やがて、クロードは彼固有の様式を展開するようになり、ニコラ・プッサンとともに古典主義的絵画の創造者となった。1644年頃に描かれた、《クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》は、クロードが高貴な題材と結びつけた美しい海港を描いた作品群のうちに含まれる。 この絵画の題材は、ホメロスの『イリアス』第1巻から取られている。この叙事詩によると、若いクリュセイスは、ギリシア人たちに連れ去られ、アガメムノンに戦利品として提供された。アガメムノンは、クリュセイスを彼女の父の元に返すことを拒んだのだった。神アポロンはクリュセイスの父の復讐の祈りにこたえ、ギリシア人の野営地にペストを蔓延させた。アガメムノンはついに、クリュセイスの解放に応じた。場面は、生贄に捧げられる予定の牛が上陸している間に、船の前にいるオデュッセウスが、解放された娘を父親のもとに返すというドラマの大団円を示している。 この絵画では、画家の詩的なビジョンにより、金色に輝く光の効果のもとで、古代の想像上の宮殿と17世紀の船の正確な描写とが結びつけられている。船の描写は、明らかにヨーロッパの船員が遠くの国々に上陸していることの暗示である。黄金時代の人間は、古代の現実生活の状況には疎かった。クロード・ロランは、古典主義的で壮大な建築を舞台として、古代ギリシアを当時の壮麗なローマ、地中海に移されたローマのイメージで思い描くことによってこうした欠落を埋めている。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:21:02 No.207 | |
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1581/85年頃−1666年
17世紀オランダを代表する肖像画家として名高いフランス・ハルスは、即興性の高い筆致でオランダの市民社会を代表するような人々の姿を多く描いた。荒々しいまでの筆さばきは時に古典主義的典雅の対極にあり、また、いささか品格を疑わせるような人物の描写も古典主義からの距離を感じさせる。けれども、このような外見的特質をもって、ハルスを学識とは無縁の職人的画家であり、その作品を単に市井の人々を写実的に描いたものと見なすことは誤りであることを本作品は教えてくれる。ここに描かれるような派手な服装をまとった道化の半身像は、カラヴァッジョに影響を受けたユトレヒトの画家たちが得意にした主題であった。これは肖像画ではなく、むしろ、風俗画的人物像であり、あるいは、聴覚の寓意的表現だったかもしれない。とすれば、ハルスがしばしば描いた酔っ払いも単なる写実的肖像画ではない可能性が示唆されていることになる。とはいえ、この画家の作品を前にすると、絵画における主題の重要性はつい忘れてしまいがちである。本作品に見られる道化のおどけたような一瞬の表情、乱れた髪や赤い飾りのついた派手な衣装、楽器をもつ陰影に富んだ右手、そして、リュート中央のバラ窓のような装飾などは、確かにマネやクールベに啓示を与えたハルスの驚くべき近代性を実感させるに違いない。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:21:36 No.208 | |
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1594年−1665年
古代ギリシアの彫像のような堂々として端正な横顔を持つエジプトの王ファラオの娘とその侍女。彼女たちの指が示す先には、川から救い上げられたばかりの幼児モーセが篭の中に見出される。遠景のピラミッドと、背中を見せて横たわる川の神の擬人像は、エジプトのナイル河畔が舞台であることを示している。イスラエル人の増加を嫌って、男児を殺害するという王ファラオの命から逃れるべく、モーセの母は、子をパピルスで編んだ篭に入れて川岸の葦の中に隠したが、今王女によって見出され、モーセは以後彼女に育てられることになる。旧約聖書「出エジプト記」に記されたこの場面をプッサンは、少なくとも3度描いているが、本作品はその最初のものとされる。 女性の衣服に施された青、黄、ピンク、緑の明るい色彩の共鳴は「救出」という喜ばしい情景を支えつつ、向こう岸の数人の人物像、さらには橋のアーチの向こうにわずかに見える彼方の人物へと段階的に視線を誘う。本作品は、人物のポーズと配置、そして色彩を綿密に練り上げるプッサンの力量を優れて伝える代表作の一つであり、1693年、ヴェルサイユ宮殿の庭園などを手がけた造園家ル・ノートルからルイ14世に贈られたものである。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:22:43 No.209 | |
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1590年−1649年
何かに誘いかけるような聖母と幼児キリストのまなざし。ルイ13世によって王家の主席画家と任じられたヴーエの卓越した筆の力によって、艶やかに描き出された聖母子像。着衣の赤、ヴェールの黄色、ラピスラズリの豪奢な輝きを持つ外衣の青、そして幼児キリストを包むシーツの白と、流麗な襞の明暗を刻み込みながら簡潔に色彩が配置され、聖母が掲げるナラの小枝の緑がそれらの色彩の対比に加わる。 17世紀、対抗宗教改革の時代にあったフランスでは、聖処女マリアは神と人とを仲介する存在として崇められ、ルイ13世も、1638年に息子の生誕に際し、フランスの国土を処女マリアに捧げる誓いをなしたほどであり、神の子キリストを伴った聖母子像は広く人気を博した。ヴーエの他の聖母子像では、聖母とキリストは互いを見つめ合っているが、本作品のみ、二人ともこちらにまなざしを向けている。若く美しい聖母と、足で御包みと戯れる生気溢れる姿は、聖母子の人間性に思いを至らせるとともに、穢れなき「受肉」の神秘にわれわれを導くかのようでもある。 画家の友人で庇護者でもあったルイ・エスランは王の助言者で、王宮の出納管理を司っていた人物で、本作品は彼のために描かれたと考えられている。聖母が持つナラの小枝は、力と忠実さの象徴とされ、二人の関係を証し立てるかのようでもある。 本作品は2004年に企業のメセナによってルーヴルの新たなコレクションとなったものである。
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| Re: ルーブル美術館展 hosikuzu - 2009/05/31(Sun) 18:24:16 No.211 | |
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1617年−1682年
神の子イエス・キリストを宿した聖母マリア自身も、穢れなきまま母アンナから生まれたとする「無原罪の御宿り」の教義は、17世紀スペイン、殊に画家ムリーリョが活躍したセヴィリアでも熱烈な信仰を集め、多くの作例が生み出された。ローマ・カトリックが正式にこの教義を認めたのは、1854年になってからだが、1661年、教皇アレクサンデル7世はこれを容認する勅書を出した。本作品は、このことを受けて1662年から改築が始まったセヴィリアのサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会に対して、画家の友人でもあったドミンゴ・ベラスケス・ソリアーノが寄進した4点中の1点である。画面左端の人物がソリアーノと思われる。縦長の構図を持つムリーリョの他の同主題の作品とは異なり、横長の画面の中央に聖母が捉えられているが、この画面形状は掲げられていた教会上部の壁面形状によるものである。 「神は最初から彼女を愛しておられた。」と記された布を拡げる天使の愛らしい姿。手を合わせ、左下に顔を向けながら眼を伏せて思いに沈む聖母の清純な姿は、セヴィリアに留まらず17世紀のスペインで広く人気を博したムリーリョの甘美な聖母像の魅力を存分に感じることができるだろう。
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